大阪地方裁判所 昭和59年(モ)14639号 決定 1986年7月31日
原告 破産者南海物産株式会社 破産管財人 森賢昭
右訴訟代理人弁護士 阿部幸作
被告 永進機械株式会社
右代表者代表取締役 永井俊夫
右訴訟代理人弁護士 浅井正
主文
本件申立を却下する。
理由
一 被告は「原告は、NGMメルテンス本体売買帳及び右売買帳の内容を承継する商業帳簿のうち昭和四六年一二月から昭和五七年五月までの分を大阪地方裁判所に提出せよ。」との文書提出命令の申立をした。その理由は、破産者南海物産株式会社(以下、南海物産という。)が申立人被告、被申立人南海物産間の名古屋地方裁判所昭和五〇年(ヨ)第一三二二号仮処分申請事件の
「債務者は、債権者製造にかかるものを除くほか、
1 地に供する経糸の間に緯入桿を使用することにより地に供する緯糸を交錯させ二重の平織り地組織を形成しつつ、その地組織にさらに毛羽に供する緯糸を交錯させ袋状にする機構を有し、かつ2 その袋状を形成した毛羽に供する緯糸部分を刃物にて切断して毛羽を生ぜしめ二枚のパイル織物にする装置を有する織機の販売、拡布宣伝を自らなし、または第三者をしてなさしめてはならない。」
との仮処分決定を無視して同決定に該当する織機の販売を継続して行っていた事実を立証するために、原告に対し、商法三五条に基づき、原告が所持する右申立の趣旨掲記の文書(以下、本件売買帳等という。)を原告に提出させる必要があるというのである。
これに対して原告は、次の要旨による反論を主張した。すなわち、原告のもとには本件売買帳等は存在せず、仮にこれに類似したものがあってもそれは被告に関するもののみを記載したものでないから企業秘密上これを提出することはできない。また、被告は、本件売買帳等によって南海物産が名古屋地方裁判所昭和五〇年(ヨ)第一三二二号仮処分決定に違反した事実を立証する旨をいうが、右仮処分事件は被告の申立取下げによって終了しており、被告の本件申立は失当である。以上のように主張した。
二 よって、本件申立の当否について検討する。
1 本件弁論の全趣旨に徴すると、原告は、調査の結果、右申立にかかる本件売買帳等で自己が所持しているものは、昭和六〇年五月一三日の本件第一六回口頭弁論において書証として任意に提出した「買約書」及び昭和六一年六月二六日の第二二回口頭弁論期日において書証として提出した「売買台帳」のみであり、これら以外には見当たらない旨を述べていることが明らかであるところ、それ以上になお原告が右申立にかかる本件売買帳等を所持していることについては、これを認めるに足る資料がない。
2 また、前記仮処分事件自体が申立人である被告の申立取下によって終了し、右仮処分決定が失効していることが一件記録によって明らかであるから、被告において南海物産が右仮処分決定に違反した事実を立証することはもはや意味を持たないものというべきであり、したがって、その事実の立証のために本件売買帳等について提出命令を発する必要性もないといわざるを得ない。
3 仮に右のとおり被告が南海物産の右仮処分決定違反事実を立証するというのを、右仮処分決定により南海物産が蒙った損害の額を減ずる理由となる事実を証するという趣旨に善解するとしても、以下の理由から本件売買帳等の提出命令申立は失当である。
(一) まず、一般に書証の提出義務について規定した民事訴訟法三一二条の適用にあたって、当該文書の記載内容に同法二八一条一項三号に該当するものがある場合には、文書の所持者は文書提出義務を免れるものと解される。けだし、同号にいう職業の秘密に関する事項とは、それが公開されることにより、当該職業に経済上重大な打撃を与え、職業の円滑な進行を困難ならしめる事項を意味するものであり、同条はこのような秘密の保持者の利益を保護する趣旨に出たものであるところ、かような利益保護の必要性は、証言義務の存否を判断する場合と文書提出義務の存否を判断する場合とで特に異なるところがないからである。
そして、一件記録に徴すると、本件売買帳等には、その内容として右織機等の販売先、販売数量等が記載されていると推認されるが、かような記載事項が製造販売業を営んでいた南海物産、ないし原告にとって前記「職業の秘密」に該当することは疑いを容れないところである。
(二) もっとも、本件において被告は、文書提出義務の根拠として商法三五条をあげているところ、本件売買帳等は貸借対照表の補助帳簿として同条が規定する商業帳簿に該当する。そして、同条所定の商業帳簿は、その性質上当然に、前記「職業の秘密」に該当する事項の記載を含む場合が多いと考えられるが、それにもかかわらず、同条が何ら制限を加えることなく包括的に商業帳簿の提出義務を規定していることをみれば、民事訴訟法三一二条所定の文書の場合の「職業の秘密」との関係についての前記考察が商法三五条所定の商業帳簿の場合にそのまま妥当するものではないというべきである。
(三) しかしながら、商法三五条が商業帳簿の一般的提出義務を規定した趣旨は、主として、訴訟の実際上商業帳簿に強い証明力が付与されているという点にあるのであり、こうした証明力の強い証拠を得ることは一般的にはもとより望ましいといえても、民事訴訟においてはこれを絶対視しなければならないほどのものではない。そして、「職業の秘密」の保護を全く考慮することなく常に商業帳簿の所持人に提出義務を課することが出来るとするのは、その所持人の利益を不当に侵害し、著しく申立人の利益にのみ偏する場合も当然考えられ、民事訴訟法上の文書提出義務との合理的均衡の観点からも疑問といわざるをえない。したがって、当該事案の内容に徴し、当該商業帳簿を提出させることによって、帳簿所持人の営業上の利益が侵害される具体的危険性が認められる場合、その他当該商業帳簿提出命令の申立が申立権の濫用としか考えられないような事情が認められる場合には、裁判所は商業帳簿の提出命令申立を不相当として却下することができると解するのが相当である。
(四) そこで本件についてみると、一件記録によれば、
(1) 南海物産ないし日本メルテンス株式会社(以下、日本メルテンスと言う。)と被告とはパイル織物用織機の製造販売という点で業務内容を同じくし、そのうちシャットルレス織機等については市場において競争関係に立っていること、
(2) 本件事案の概要は、南海物産が西ドイツ・メルテンス社と技術提携をしたMDMS―ZN型シャットルレス織機について、被告にその製造を下請けさせたところ、被告が(イ) 右織機を南海物産に無断で第三者に販売したり、(ロ) 南海物産から貸与された右織機の図面をそのままコピーして被告自ら開発したものであるかのように特許申請をしたり、(ハ) 逆に、南海物産に対し、南海物産の取り扱う大部分の機種が該当する織機の製造・販売等を禁止する旨の仮処分を申請して、南海物産の織機の製造・販売等を妨害したり、など数々の南海物産に対する非違行為を働いた旨を南海物産において主張して被告との間で紛争を生じているものであること(ちなみに、これらの点については、被告は積極的な反論をほとんど行っていない。)。
(3) 昭和五七年一一月一八日の本件第一三回口頭弁論における被告の本件文書提出命令申立の後、昭和六〇年五月一三日の第一六回口頭弁論及び昭和六一年六月二六日の第二二回口頭弁論において南海物産から申立の対象とされた本件売買帳等の一部であることが窺われる書証が任意に提出されたにもかかわらず、被告はなおも右申立を維持していること、
(4) 本件文書提出命令の対象として被告製造にかかる織機の売買帳のみならず、第三者である日本メルテンス製造にかかる織機の売買帳も含まれていること、
以上の各事実を認めることができる。そして、これらの事実を総合すると、原告に本件売買帳等の提出を強制することで南海物産の営業上の利益が侵害される具体的危険性が存在するものといえ、当裁判所としては、原告に本件売買帳等の提出を命じるのは、相当でないと考えるものである。なお、南海物産は昭和六〇年一一月一五日、大阪地方裁判所において破産宣告を受け、原告が破産管財人として選任されたものであるが、南海物産の得意先関係は営業上のノウハウ等と同様、南海物産の無体財産を構成するものであって、原告は営業譲渡等によってこれを換価しうるのであるから、右得意先関係を秘匿すべき利益は、南海物産破産後の現在においても、なお存在するものと解される。
四 よって、いずれにしても被告の本件申立は理由がないのでこれを却下することとして、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 岨野悌介 裁判官 富田守勝 西井和徒)